1. 準備段階
(1)3月7日「川田さんを囲む会」開催
参加は12名。今から思うと、この会が一つの転換点であった。川田擁立は府中の市民運動から出たものではなく、川田擁立がすべて決まった後に府中以外の地域から運動の依頼があったため、当初の動きは鈍かった。囲む会も、とりあえず川田さんの話を聞いてみよう、というぐらいの気持ちであった。しかし、川田さんの真剣な訴えを聞くうちに、彼が本気で国政に出ることを考え行動していることが理解でき、その思いを少しでも共有しようと考えるようになった。
(2)相談会−府中の会発足
3月27日に相談会を開き、正式に「川田龍平を応援する府中の会」を発足させた。そこには多くの人が集まったが、市長選挙における統一戦線や平和まつりの蓄積があったことが速やかな発足に結びついたと思われる。
2. 6月16日、府中大集会
結果的に述べ参加者は70名ほど。会場の広さにくらべてちょっとさびしかった。しかし、参加者カードを見ると、実際に全く知らなかった人たちが参加していたことが分かる。したがって、川田さんの思いを多くの市民に知らせるという集会の意義も不十分ながら達成できた。
また、集会に向けて、市内にチラシをまき、友人に電話をかけたり手紙を出したりしたことにより、運動自体が格段と広がる契機となった。そのような意味において、この集会は大きな意義があったのではないか。
3. 公示までの運動
30,000枚の統一チラシと28,000枚の府中チラシをまいた。ただし府中チラシは統一チラシに折り込んで使用。おそらくポスティングが28,000枚、街頭、駅頭で配ったものが2,000枚ほどではないかと推測される。
(1)ポスティング
ほぼ市内全域にわたってポスティングを行った。参加者は確認できるだけでも35名であった。チラシは統一チラシのみの場合もあったが、基本的には府中チラシにもこだわり、頼まれた選挙ではなく自分達の選挙であるということを確認した。
(2)街頭宣伝
フォーリス前で、5回の宣伝を行った。毎回10名近くの参加があり、活気のある宣伝ができたのではないかと思う。参加者がかわるがわるマイクを手にとって市民にアピールしたが、府中では全て、しゃべる内容などについての規制を行わなかった。これは特定の主張をもつ候補者を当選させるための選挙においては異例のことかもしれないが、一人ひとりの思いを乗せた選挙と位置づけたためである。
(3)駅頭宣伝
分倍河原、府中、武蔵野台、中河原で朝7:00〜8:30の宣伝を行った。毎回10名前後の参加があった。うち最初の分倍河原には川田さん自身も参加した。また、公示日前の日曜日には、フォーリス前宣伝のあと、調布駅頭、飛田給駅頭での宣伝も行った。
4. 公示後の運動
(1)公示ポスターはり
府中では30名ほどが参加し、比較的早い時間に貼り切ることができた。家の周りを貼ってくれた人、自転車やバイクでより広い範囲を貼ってくれた人、そして自動車を使い市内で貼り残している地域を貼ってくれた人など、広範かつ重層的な動きができたのではないかと思う。
(2)7月17日川田さん府中駅頭に来る
当初、16日の午後に府中に来る方向で調整していたが、結果的に17日すなわち平日の9時半という最悪の時間に来ることになってしまった。全体のスケジュールの中で仕方がないことなので、あえてその理由を問い合わせることはしなかったが、不満は残った。
それでも当日府中駅頭には10名をこえる市民が集まって宣伝を手伝った。にもかかわらず、なぜか弁士は全て府中と関係ない人が立ち(三多摩という意味では関係する人だが)、怒りを覚えた。正直私個人としては、「一体何のために府中に来たんだ」という不満を増幅させる宣伝であった。
(3)電話かけ
三多摩事務所の電話設置も遅れたが、府中の動きも遅れてしまった。それでも最後の一週間に集中的に三多摩事務所に行ったり自宅の電話を利用したりして市内に電話をかけることができた。今回は比較的好感度が高く、電話の威力があることがよくわかった。次回は公示前から電話に重点を置いた運動を進めることが必要なのではないかと思う。
5. 投票結果
府中においては、総有効投票数11万4,463票のうち1万5,019が川田票であった。割合にすると13.2%の票を得たことになるが、この数字は、49区市中14位、三多摩だけでみると26市中7位である。東京都全体では、総有効投票数590万9,515票のうち川田票は68万3.629で、得票率11.6%であるから、府中では平均を1.6ポイント上回ったこととなる。
6. 組織体制
会の代表を吉岡さん、事務局長を東、会計を藤井さん、連絡先を納村さんが担った。また府中の会のWebサイトの作成・更新は土屋さんが一手に担い、集会や宣伝などがあるたびにいち早く更新された。
もちろん影の事務局長がKSさんであることは公然の秘密である。とはいえ今回事務局体制がまがりなりにも機能したのは、実に多くの人たちがともに運動を担ったからである。事務局からの過大な要求に不平を言うことなく、もくもくとポスティングを続けてくれたITさん、KTさん。昼は街頭宣伝、深夜はポスティングと昼夜を問わず活躍したICさん。われわれの運動では比較的弱い高齢者の方に創意あふれる方法で川田さんを広めてくれたSさん。早朝から街頭宣伝に立ってくれたWさん。公示ポスターにおいても、四谷の広い範囲を一人で貼ってくれたKNさん、府中駅頭に待機して一番に貼ったMさん、前日に下見をしておき一気に30カ所近くを貼ったNさんなど。他にも電話かけという一番地味だが重要なところで影から選挙を支えたOさん、Hさんなど、挙げればきりがないほどである。
時には、事務局から無理な要請をすることもあったが、基本的には各自の自主性に任せ、これが発揮される組織であったと思う。それだけに今回の選挙においては、各自の思いが強かったとも言えよう。