この子、は沖縄だ

沖縄へ行こう! 辺野古に 高江に行こう

呼びかけ人からのひと言

米津知子さん

写真の女の子がこんな目に遭わなかったら、今は50代半ばのはず。
あのとき、こうできていたらと、後から悔やむことはもうしたくないと思いました。
座り込みに行けるかどうか分かりません。
でも、何かしたいという気持ちで呼びかけ人になりました。
そのとき居る場所で、赤を身につけて、私の怒りを表明します。
(会社員)

寺崎明子さん

選挙のたびに、何度も何度も「辺野古新基地はいらない!の民意を示してきたのに、 その民意が国には無視されている。
わたしたち本土に住む人間は沖縄の人たちの思いを実現するために、小さなことでもいいから出来ることは何でもして、辺野古の新基地建設を止めなくては!という思いでいっぱいです。 それは沖縄だけにとどまらず、日本全国で民意が反映された政治が行われるようにする、大事な一歩にもなるると思うからです。
  (経産省前テントひろばスタッフ)

中野理恵さん

敗戦70年。女は生きにくく、日本も暮らしにくくなっていくような・・・
(映画ディストリビューター・プロデューサー)

上原公子さん

ベトナム戦争の時代、沖縄はまさに最前線基地に直結していました。米兵を野獣化して戦場に送るために沖縄で訓練し、ベトナムのジャングルの泥が付いたまま、米兵は沖縄に戻ってきます。戦場の意識を払しょくしないまま沖縄の街に出てくる米兵に、沖縄の人々の人権は蹂躙され続けました。基地がある限り、沖縄の事件は絶えることがなく、怒りと悲しみの慟哭は途切れることはないのです。

吉田美佐子さん

「辺野古基金」寄付1億2000万円に 県外7割、関心広がる。」
 今こそ、安倍政権が「取り戻そう!」と騒ぐなら  オール沖縄は 琉球文化を取り戻しましょう!
 そしてわたしは 憲法の国民主権を噛みしめながら、6月に辺野古に座り込みに行きます!!

きくちゆみさん

この写真から衝撃と深い悲しみを感じます。
もし人間の心を持っているなら、瀕死の女の子を助けようと動くでしょう。
でも1965年の沖縄では、米兵も日本の警察も、彼らの人間性を発露できなかった。
人間性を損なってしまう戦争、戦争に必要な基地、占領という理不尽で不幸な現実を変えるために、「この子、沖縄だ・・・」の呼びかけ人になりました。私たち一人一人が、どんなときでも自分の良心に従って自由に行動できる社会を、あなたと共に創っていきたいです。

きくちゆみ/BePeaceプラクティス認定講師「ラスール」
ふくしまキッズハワイ共同代表

木村真美さん

大学に入学する春に家族で沖縄に行きました。
それ以来、25年。沖縄の基地の間に住むということを“我がこと”たろうと思ってきました。
そんな思いで、多摩地域で行われた憲法ミュージカル「キジムナー」の公演の旗振り役をしました。
いま、思いを、できることなら身体も、沖縄へ。

小倉志郎さん

20世紀から今世紀にかけて多くの戦争を経験した人類は、
武力では国際紛争の解決はできないということを学びました。
軍事基地の建設は税金が無駄になるだけでなく、
私たちの子々孫々にとって大切な自然を破壊します。

神田香織さん

この写真を初めて見たのは数年前…、その時の衝撃が蘇ります。
かわいい盛りの娘さんの変わり果てた姿、親御さんはどれほど悔しかった事か!
永年沖縄に犠牲を強要し続けている政府は、今、福島も見捨て始めています。
やがては国民全体も見捨てるつもりではないでしょうか。
沖縄から基地を、日本から原発をなくし、人が人らしく生きるためともにふんばりましょう。

浜矩子さん

沖縄は我々。我々は沖縄。痛みは一つ。怒りは一つ。どこまでも一つ。
いつでも。いつまでも。

三井富美代さん

沖縄の災厄は、基地を70年押しつけてきた内地の私たちの責任と思います。
これまで、このことをちゃんと考えてこなかった自分を恥ずかしく思っています。
(NPO職員)

深江誠子さん

今回のような日本人を対等な人間とは見ていないアメリカ兵のひどい差別によって、基地での多くのトラブルに悩まされてきた沖縄の人たちの苦しみは、アメリカには伝わっているし、もう沖縄に基地を置く必要も、アメリカではあまりなくなっています。
なのに、基地をなくすことを拒否しているのは、東京の官僚や政治家たちです。
だから、翁長知事がアメリカに話し合いに行く方が、沖縄の人たち・日本人の望みが叶う可能性が高いです。
今度こそ、白井聡さんが書いた永続敗戦論を超えて、基地を失くして欲しいです。
(社会問題研究者)

後藤弘子さん

犠牲になるのは、いつも子どもや女性。いくら叫んでも聞こえないし、存在さえ目に入らない。力をもった人たちは、見たくないものを見ない権利を常に行使しづける。そんな権利はないはずなのに。
(大学教員)

角田由紀子さん

この運動の呼びかけ人になることを, 古い友人の田中美津さんから打診された。
美津さんと私との関係では、もちろん二つ返事で「はい」である。
その直後に東京新聞の「こちら特報部」がこの写真の写された背景を詳しく報じていた。それを読んで、沖縄の歴史と自分の個人史を重ね合わせて、心底恥じた。
九州で育った私には、沖縄は身近であった。小学校から高校までクラスに必ず沖縄にルーツを持つ友人が複数いたからだ。
それにもかかわらず、私は沖縄の政治に無知であった。大学時代の沖縄からの友人は「留学生」であった。
私が、その気になれば、容易に気付くことができた沖縄に無関心・無知であったことを深く恥じている。
今の私にできることは何か、それを考えて、今度こそは沖縄の問題をわがことにしたい。
(弁護士)